「親父の遺産の200万円つかっちゃったわ」
帰ってくるなり弟の慎平がほぼ空になった通帳を手渡してきた。
この弟はいつまで親不孝でいれば気が済むのか?
今日の父の葬儀も出席せず出ていったかと思うと
父の残した遺産を平気で使い込んで帰ってくるとは
「あんたなんてことしてくれたの?葬儀にも参加しないで。」
私は周りの目を気にせず慎平に怒鳴りつけた。
慎平はニヤニヤしながら言ってくる。
「しょうがないじゃん。親父が死んだら銀行からお金降ろせなくなるんだぜ?だからその前に俺が使ってやったの!」
なんの反省もしていない慎平に腹が立ったが、
しかし、私はある事を思い出した。
先ほどの怒りが一瞬で消えてなくなる。
私は弟に「わかったわ。かわいそうに。がんばってね!」と伝えるのだった。
私は大宮 淳子。
両親と弟の慎平がいる。
働いていた会社で私の直属の上司だった人ととても気が合ったので結婚した。
夫とは色々あったのだが、それは後ほど話そうと思う。
両親は町の小さな小売店を営んでいた。
店を営んでいるとなんとなくお金がありそうに感じるが、生活は至って普通で小さかった私でもなんとなく上手くいってないだろうと思っていた。
実際のところ、黒字と赤字の微妙なラインだったようだ。
あまり儲からなかった理由は父が利益が出るような値段設定にしていなかったからだろう。
中学のとき、父の仕事にふと疑問を抱き、あることを聞いた。
「ねぇ、お父さん、何で儲からなそうなことしてるの?」
父は、ははっと笑いながらこう答えた。
「お前もとうとうそんなこと思うようになったのか。でもな、大切なのは自分の儲けではなく人の役に立てるか?だ。このお店はこのまちで唯一の小売店だ。この町には必要なんだよ。」
まるで綺麗事のような内容であったが、父は冗談で言ってるわけではないのはまっすぐ私を見つめる眼を見れば分かった。
「へぇー。」
道徳的な事を言われているのは分かったが、その頃の私は実感を持ってその言葉を理解することができなかった。
父はそんな私の頭を撫でると
「まあ、そのうち分かってくるさ」
と優しい声で言った。
父には絶対曲げない信念があった。
そして、その信念に近づく為の努力をし続けていた。
私はその時、父をカッコいいなと思った。
私はご飯の時に両親が話すお客さんの話がいつも楽しみだった。
父も母もお客さんに子供が産まれたとか、これを教えたら嬉しそうにしてたとかをすごく嬉しそうに話してくれた。
だが、一方で弟の慎平は両親とも私ともあまり良好な関係ではなかった。
もともと慎平と両親の関係は悪かったわけではない。
幼い頃の慎平は母に向かって「お父さんは僕よりお客さんの方が好きなんだ」と母の穴をカバーするべくお店につきっきりになった父を見てふてくされていた。
その頃の慎平は父のことも母のことも大好きだった。
慎平の態度が変わり始めたのは慎平が実家が貧乏だといじめにあった時からだ。
「お前んちの店潰れそうなんだろ?貧乏人!」とか、「いつもお弁当のおかず一緒だな、もしかして売れ残りですか?」とか言われていたらしい。
最初は否定していたようだったが、否定するほど肯定の意だとさらに馬鹿にされたようで、そのうち両親が悪いのだと思い込み始めた。
その時から慎平は事あるごとに両親にあたり、私が止めても全く無駄だった。
気づけば慎平は素行の良くない友人と連むようになっていた。
夜の2時をまわったくらいに帰ってくる日が増えた。
父が「こんな時間まで何してるんだ。危ないだろ」と言うと、
「うるさいな。女じゃねぇんだし襲われねぇよ。」
と返した。
そしてどんどん言葉遣いが悪くなり、とうとう髪を染め、ピアスを開けていた。
慎平が高校に入ったくらいの頃だった。
不良と言っても暴力団に入っているなどと言うことではなく、いつも帰りは朝方で、たまに家に苦情の電話が来ると言った感じだ。
父は見た目には心配している様子を見せなかったが、夜に電話がかかってくると寝ている母にかわって飛ぶように出ている様子を見ると、やはり心配していたのだろう。
電話の内容はまちまちで、「コンビニの前でたむろしていて迷惑です」「深夜にカラオケにいたので保護しました」などだった。
唯一良かったのは、両親の心配とは裏腹に事故や事件に巻き込まれるといったことが起きなかったことだ。
しかし、電話の内容はどんどん犯罪未遂のようなものが多くなってきた。
時には父が謝罪に向かわなければならないこともあった。
その中で、両親がカンカンに怒り慎平と話すきっかけとなった事件は「万引き」だった。
父は顔を真っ赤にして、
「小売店の息子が万引きだと?ふざけるな。お前の行いがどれだけの損失になるか分かるのか?」
と言った。
父の隣の母はその事実にショックを受けたようで、ずっと下を向いたままだった。
だが、慎平はまるで懲りておらず、テーブルに足をかけて聞いていた。
「たかが、うまい棒一本だ。10円取られてもそんなに困んないだろ。うちじゃあるまいし。」
と弟は言い捨て、また出ていった。
小学生の頃にいじめられた記憶はまだ慎平の中に残っていた。
父は追いかけようとしたが、慎平のバイクが走り去る音が聞こえて、はぁ。とため息をついて諦めた。
そのうち慎平は勝手に高校を中退した。
私は珍しく家にいるなと思っていたら、荷物をまとめて出ていった。
知らぬ間に仕事を見つけていたようだ。
それから私はたまに近所の工事現場で見かける以外で慎平と関わることはなかったし、家族の話題となることもなかった。
一方で私は大学へ進学し、一般企業に就職した。
そこで夫と出会い、結婚した。
産休に入るまでは会社を続けたいからと、会社には内緒にしていた。
でも、その生活も長くは続かなかった。
夫の家は跡継ぎがほしいと強く願っていたが、私と夫との間には子供がなかなかできなかったのだ。
私は実家を出て、夫が元々持っていた二世帯住宅で暮らしていたが、子供ができないことから姑からのいびりを受けていた。
それを見ても、夫は姑と同じ意見だったようで助けてくれることはなく、挙げ句の果てに一緒に嫌味を言ってきた。
間もなく夫は不倫してそっちと子供ができたと言ってきた。
当然離婚することになり、3年の短い結婚生活は幕を閉じた。
夫も夫の不倫相手も同じ職場だった。
会社に行くたびに2人を見かけることは大変苦痛で
結果、会社にも居にくくなり仕事を辞めて実家に帰ることにした。
父と母は私を責めることもなく、大変だったねと実家に受け入れてくれた。
そんな時、慎平が結婚したと報告を受けた。
なんと相手を連れて実家に挨拶に来たのだ。
相手の名前はちひろさんと言うらしい。
見た目は慎平もちひろさんも茶髪や金髪で耳には2か所以上のピアスがつけられていた。
2人は25歳くらいのはずだがとてもそうには見えなかった。
でも、挨拶にくるだけマシかと思っていた。
だが、慎平たちは父に結婚資金の相談をするのが目的だったようだ。
両親は呆れていたが、慎平にお金を工面してあげることにした。
そのあともちょくちょく家に訪ねてきては、ウエディングドレスや式場などのお金を出してくれるよう父に頼んでいた。
しかし、慎平たちの結婚式が終わってからはぱたりと実家に来なくなってしまった。
本当にお金だけのために来ていたのだろう。と私は呆れた。
それから数年が経ち、町の再開発が進んですっかり街並みが変わった。
畑だった場所の多くは家やマンションが建ち、けもの道のような遊歩道はすっかり舗装されて歩きやすくなった。
首都につながる道が新しく整備されたことにより両親の店も大きく状況が変わっていた。
数年前ならば、1日に何人か常連さんがくるほどだった店は人の出入りがつきない程になっていた。
更地であった場所にマンションなどが建ち、ファミリー層が増えたからだ。
そして、両親の店はこの町唯一の小売店として数十年の時を経て大繁盛した。
私は「すごいね!」と嬉しくて両親を誇りに思ったが、父は冷静に「人に必要とされることを続けただけだよ」と言っていた。
普段はなんだかゆったりしている父であったが、お店にたつと人が変わったようにキビキビとそして的確な接客をしていた。
お客さんが笑顔で帰っていく様子を見送る時に嬉しそうにかすかに微笑んでいる父を私は心から尊敬していた。
母は店が繁盛すると父の補佐として忙しそうにしていた。
母が店に出ることは今まであまりなかったが、長年父と一緒に歩んできたため、阿吽の呼吸で補佐をしていた。
母もお客さんが笑顔になると嬉しそうだった。
今まで繁盛とはいかなかった店が賑やかになることで全ては順調に進み始めたと思った。
だが、そううまくはいかなかった。
父が急に倒れたのだ。
貧乏だった頃の無理が今になって顔を出したようだ。
父はたちまち動けなくなってしまい、介護が必要になった。
今まで一家の大黒柱であり、店の店長であった父の穴は私1人では到底まかなえるものではなかった。
忙しくなった店の仕事に加えて、父の介護もすると母はヘトヘトで気力の糸が切れたら倒れてしまいそうだった。
この状況をどうにかしたいと私も奔走していたが、母のほんの休む時間が増えた程度にしかならなかった。
私は一応慎平たちにもこの状況を連絡したが、介護の手伝いどころか、父のお見舞いにさえ来なかった。
私は母と協力してなんとか父の介護もしながら店も続けた。
そうして時は流れ、私が42歳になる頃に父はとうとう亡くなった。
最後の数年は弱々しく衰えていく父がもどかしくて見ていられなかった。
父は幸せだったのだろうか。とふと思った。
けど、今も変わらず来てくれる常連さんを見ているとみんな父の死を悲しんでくれて、父は幸せだっただろうと思うことができた。
慎平には定期的に連絡をとっていたが、結局慎平は生前の父にあうことはなかった。
父の葬儀の当日になって初めて慎平とちひろが来た。
慎平は悲しさなどは一切感じられない口調で「なんだ?家の家具がなんか高そうだな。最近儲かってんの?」と親戚の前で言ってきた。
なんて不謹慎なのだろう。実の父親の葬儀の準備もせず当日だけ来たと思ったらこんなことを人目も気にせずに言ってくる。
私は慎平の行動に怒りを募らせていた。
しかし、葬儀の会場で怒鳴るわけにも行かないのでぐっと堪える。
私は弟夫婦への憤りを抑えながら葬儀の準備をしていた。
なんだか、弟夫婦はずっとソワソワしていたが気にしている余裕はなかった。
いざ葬儀が始まった。
しかし、住職が入ってきても私の隣の席は埋まることはなかった。
なんと弟夫婦は葬儀に出席していないのである。
だが、そんなことよりもこの葬儀ではお父さんのことを考えていたかった。
私はお経に耳を傾けながら、父の冥福を祈った。
葬儀が終わり、親戚と父の思い出話をしていると弟夫婦が扉から入ってくるのが見えた。
慎平は私を見つけると、ツカツカと歩み寄りずいっと通帳をみせて言った。
「親父の200万つかっちった。ごめんなぁ」
私はびっくりして最初は声も出なかった。
訳もわからずに目の前に出された通帳に目を通す。
すると、確かに通帳には父の名前が書いてあり、残高は端数しか残ってなかった。
慎平はポケットを漁るとほら。と父の印鑑も出して来た。
「あんたなんてことしてくれたの?葬儀にも参加しないで。」
私はとうとう怒鳴ってしまった。
親戚の人は目を大きくして私を見ていた。
だが、もう親戚の目を気にできるほどの余裕はなかった。
「いい加減にしてよ。介護も葬儀の手伝いもしてくれなかったのに、お金使うって。本当にお金のことしか考えてないんだね。」
「いやぁ、だってよう、知ってるか?死亡したって銀行にバレたらおろせなくなんだよ。だから、バレる前に使ってやったのよ。」
と慎平は当たり前のことのように言った。
「お父さんが必死で貯めたお金なのに。」
私はお金が欲しい訳じゃなかった。
けど、父の努力が形として残っているのはお金と店だけだったのだ。だから大切にしたかった。
慎平は不機嫌な顔になると
「そうやってよ、お前が親父に媚び売ってるからどうせ俺には対して遺産回ってこないだろ?儲かっていい生活してんだから、200万くらいいいじゃねえか。」
とちひろに手を回しながら言う。
私は慎平のやってることに怒りを隠せずワナワナと震えていたが、あることに気づき怒りが収まった。
慎平の方を向くと今度は笑いが抑えられなくなり、笑いながら「かわいそうに」と言った。
慎平はとうとう姉がおかしくなったくらいにしか思っていないようだったが
地獄を見るのは慎平達だと考えると面白くなってしまったのだ。
父の葬儀が終わって数日が経った。
得意先への挨拶やお客さんの対応もようやく落ち着き、いつもの日々が戻ってきた。
そんな中、常連さんと話をしていると、「そう言えば弟の慎平さん?だっけ、」と慎平の話が始まった。
正直私は名前を聴くだけでもう嫌悪感を抱いていたが、話の続きに耳を傾けた。
「この間、ご近所さんがねぇ、大宮さん家の息子さん見たって。大量の馬券をもって競馬場にいたとか。あれだけ買えるんだから、すごい仕事でもしてんのかなと気になって話しかけてみたんだってよ。そうしたら、200万臨時収入が入ったのでねと言っていたらしい。」
ここまで聞いて慎平が何をしていたか理解できた。
「へぇ、そうなんですね。弟とはほとんど顔を合わせていないのでどこで何をしているか分からないんですよ。ちなみにその競馬結果はどうだったんですか?」
私はあの200万の使い道が競馬だと思うとなんであんな弟を持ってしまったのだろうと心から思った。
常連さんはニヤッとすると、
「あのレースは本当に面白かったよ。なんせ予想のビリから1位がまんまひっくり返ってしまったんだよ。手堅く買った人はみんな大損さ」
とケタケタ笑っていた。
私に顔を寄せるとこそっと
「弟さんも随分と手堅く買っていたみたいだよ。たくさんお金があれば確実なところにかければ確かに増えるからね。」
と言った。
よくないことではあるが、常連さんに私が弟をよく思っていないことが分かってしまったようだ。
すぐ表情に出てしまうのは治さないといけないなと思うと共に、
馬鹿なことに大金をつぎ込んだもんだと慎平を軽蔑した。
常連さんはレジのテーブルに飴を出すと
「色々大変だとは思うけど、頑張ってな。俺も何か手伝えることがあったらいつでも言ってくれ。俺は君のお父さんには返しきれないくらいたくさん恩があるんでな」
と言ってお店から出て行った。
閉店時間になったので、店の戸締りを始めた。
もう、日も暮れてあたりは街灯に照らされている。
その時、電話が鳴った。
電話の主は弟の慎平だった。
電話マークを押して着信に出ると、電話越しに慌てた声で慎平は捲し立てた。
「おい!なんで俺のところに借金の催促が来るんだよ?親父がなんでこんな借金してんだ!ふざけんなよ!」
後ろではちひろの甲高い声が聞こえていた。
一体どういう事!とでも言っているのだろう。
父はお店が繁盛してからというもの
お客様のためにとローンを組んでお店のリニューアルをしていた。
しかし、その後すぐに父が倒れてから
店の名義を母に譲ったり、資産は私と母に生前贈与してくれたりと
色々準備をしてくれていた。
父がなくなる3年前には父の資産は200万円の現金と借金だけ。
もちろん亡くなった後は借金も引き取って返していく予定だったのだが、
慎平が貯金の200万円を使ってくれた。
この時点で慎平は父の資産を贈与する意思表示をしたのと同じになった。
葬式の後、私と母が相続を破棄することで、借金は自ずと慎平のものになったのだ。
借金の額は、街に店がよく根付いていて評判もよく、ライバル店がなかったため相当な額を借りることができた。
もちろん、店の収益を考えてローンを組んだため、
しっかり払い切れる計算はしていたのだが。
そんな事を考えていると
「どうにかしろよ」
と電話口に怒鳴り声が聞こえる。
父も私たちのことも近況も何も知らないで、お金だけ使おうとするから悪いんだ。
「自業自得でしょ。慎平が勝手にお金使ったんだから。相続したのは慎平なんだから頑張ってね。でも、200万もあるしそれで当分は払えると思うわよ」
と言って電話を切った。
そのあと、しばらく電話が鳴り続けていたが、出ることはなかった。
その後、弟夫婦の生活はめちゃくちゃになったと聞いた。
毎日喧嘩の声が近所中に響き渡っているらしい。
弟は昼間に働いていた小さな車の整備会社の他に夜に工事現場の仕事を始めたようだ。
ほぼ睡眠など取らずに働いていてすっかり痩せこけていた。
それでも、ローンは返し切れないようで専業主婦であったちひろも朝から晩までパートをしている。
慣れない事をして失敗続きでいつも怒られているようだ。
借金が発覚した時、慎平達は親戚に片っ端からお金を借りることはできないかとお願いして周ったが、誰からも相手にされなかったようだ。
節目節目の集まりに来ることもなく、親戚と関わることもしなかった挙句、葬儀の出来事を知っている親戚から信頼の形であるお金を借りることなんてできる訳ない。
他にも色々頑張っていたようだったが、とても払い切れる額ではなかったようで自己破産したようだった。
一方で、私と母はすこぶる元気に生きている。
父の存在は大きかった分、寂しさを消すことは出来ないが、元気でないと父に「シャキッとしなさい」と言われている気がした。
生前に父が残してくれたお店は父が亡くなってしまったら閉めなければならないと思っていたが、慎平のお陰で今も続けることができている。
他にも女手だけではやはりきついかと思ったこともあったが、常連さん達の助けによってやっていくことができている。
売上もそこそこ好調で、この街に必要なお店になっていたんだなと私は思う。
父がお客さんを第一に思って尽くしてきたお陰で今があるのだと分かり、中学生の時に聞いた父の言葉をようやく肌で実感した。
「自分の儲けでなく、周囲の人に必要とされるものを続けられるか。」
父がずっと大切にしてきた考えを私も大切に今日もお店を開けるのだった。
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