引きこもりの俺に突然お見合い話が。なんと相手は社長令嬢「ニートのくせに結婚する気あるわけ?」→彼女をぎゅっと抱きしめると…

スカッと物語

「あんた、どういうつもり! ニートのくせに結婚しようなんて、頭おかしいの?!」

 目をつり上げて罵倒している女は、俺の見合い相手だった。

なんでも社長令嬢らしい。

 お嬢様らしい高そうなワンピースを着ているが、怒りで顔を真っ赤にしているのだから、台無しだった。

「俺は頼まれて来ただけだし……。そりゃ、俺に結婚なんて無理だと思うけど」

 お嬢様の罵倒は正しい。俺はニートで、お嬢様と釣り合うはずがない。

「なんで自分が呼ばれたかも分からないの?!」

「いや、全然」

 答えると、お嬢様はどんどんヒートアップしていった。

 あまりの罵詈雑言に、思わず耳をふさぐ。

 気に入らないのは当たり前だ。俺もそこに不服はない。

だからお嬢様は、さっさと見合いを断って帰ればいい。

 それだけの話なのに、なんでそこまで怒るのか、俺はさっぱり分からなかった。

 俺の名前は、松本 陸。

 普通のサラリーマンと主婦の間に生まれた普通の人間だ。いや、普通の人間以下か。

 なぜなら俺はニートだからだ。

 子どもの頃はそうじゃなかった。

 俺はクラスの中心で、みんなから慕われていた。慕われていた、と思う。

 運動神経には自信があった。かけっこでもサッカーでも、学年一番だった。

 将来はスポーツ選手になって、億を稼ぐんだと本気で思っていた。

 俺は世界の中心で、なんでも出来ると思っていたのだ。

 ……今となっては、あまりに恥ずかしい思い上がりだったわけだが。

 子どもの頃のことを思い出すのは楽しい。俺が一番輝いていた時だからだ。

 だけど、子どもの頃の知り合いには会いたくない。

 あの頃の俺と、今の俺を、較べられたくないからだ。

「一番会いたくないのは、あの子かな」

 思い浮かんだのは、一つ下の女の子だった。

 学年の中でも小柄な方で、丸い目をした、小動物のような子だった。

 その見た目に反して、キツイ言い方をする子だったから、同級生の中では浮いていた。

 いつも一人だったその子を遊びに誘ったのは、可哀想だったからだろうか。

 案外おてんばだったらしい彼女は、校庭を走り回る男の子たちのあとを追いかけてきた。

「名前は、なんだったっけ」

 女の子は、それから少しして転校してしまった。

 行きたくないと泣く女の子に、俺は、少ないお小遣いで買ったキーホルダーをあげたのだ。

『ーーちゃんが遠くに行っても、僕は忘れないよ』

『そんなのウソ!』

『本当だって。約束の証に、これあげる』

『それ、なあに?』

『僕とおそろいのキーホルダーだよ。これを見たら、いつだって思い出せるだろ?』

『……うん』

 女の子は、涙でぐちゃぐちゃになった顔で、それを受け取ってくれた。

 キーホルダーはもうどこかに行ってしまったけれど、大切な思い出だ。

 もしかしたら、ああいうのを初恋と呼ぶのかもしれない。

 それから、十年と少し。

 俺の自信が粉々に砕かれたきっかけは、就職活動だった。

『今回は採用を見送らせていただく結果となりました』

 どこの企業も大して変わらないテンプレートを見る度に、俺の自信は崩れていった。

「今後のご活躍を期待されたって、どうしようもねーじゃん」

 活躍するための就職先が決まらないのだ。

 こんなことになるなんて、思っていなかった。

 バイト先ではリーダーを任され、サークルでも中心にいた。

 就職活動なんて余裕だと思っていたのに、現実はひどいものだった。

 ミスが多くてみんなを困らせていたバイトの後輩が採用された。

 空気が読めなくて友達がほとんどいないサークルの女子も決まっていた。

 正直なところ、俺はそいつらよりずっとできると思っていたのだ。

 そういう思い上がりが、面接で見透かされていたのだろうか。

 俺だけが取り残されていく現実に、焦っていた。

 雇ってくれるなら、なんでもいい。

 追い詰められた俺が採用されたのは、某大手居酒屋チェーンだった。

「居酒屋なんてやめとけよ。ブラックばっかだって話だぜ?」

 大手メーカーの営業に決まった友達が言う。

「昼夜逆転生活になるぞ。身体を壊すんじゃないか?」

 心配してくれる友達は、銀行マンになることが決まっていた。

「そうかもしれないけどさ、最初から店長で、責任のある仕事を任せられるんだ。やりがいはあるだろ?」

 俺は、上手に笑って答えられているだろうか。

 俺だって、最初はそいつらと同じように思っていた。

 就職先は、週休二日、残業はほぼない大手企業がいい。

 ホワイト企業で、給料はそこそこあって、何年かしたら主任や係長になって。

 俺だって、そういう将来を思い描いていたのだ。

 だけど、俺は、選ばれなかった。

 俺が夢見ていたような企業には、俺は必要とされなかったのだ。

 お前らはいいじゃないか、選ばれたんだから。

 妬ましいのを隠して、希望を語る。

 理想の姿との差に、一番ショックを受けているのは俺だ。

 だけど俺は、そんな弱音すら吐けなかった。

 なんとかプライドを保つのに必死だったのだ。

 それが、間違いだったのだろうか。

「吉田君、今日のシフト覚えてる?」

『あ、休みますんで』

「いや、それなら先に連絡してくれないと」

『チッうっせーな(小声)。次から気をつけまーす』

 ツーツーと無情な音を立てる電話を投げ捨てたくなる。

 今からシフトに入れそうなアルバイトを探して、右往左往していると、開店時間なんてあっという間だ。

 客は、やれ料理が遅いだの、バイトが注文を間違えただの、クレームばっかりだ。

 歓送迎会が多い四月に、居酒屋が混んでいるのなんて、当たり前だろう。

 店だって新人が多い。

そのくらい、ちょっと考えれば分かるじゃないか。

 働いても働いても、成果は上がらなかった。

「松本店長ってさ、エラソーにしてるけど、仕事できないよなー」

「いつも謝ってばっかだよね。先に準備して仕事しないからそうなるんだって」

「シフトだってさ、断れない気の弱いヤツにごり押しで当日来させたりするじゃん。そんなんだからバイトも居着かないんだって。無能無能」

 ロッカールームの会話が耳に突き刺さる。

 手が冷たくなって、心臓がバクバクと鳴る。喉が渇く。息ができない。

 それでも、開店時間はやってくる。

 俺の価値なんて、どこにもないのだ。

 早朝まで働いて、他の人が起き出す頃、眠りにつく。

 バイトが急遽休むため休日返上で働いた。

 部屋は荒れ放題だった。

 自炊どころか、掃除も洗濯もろくにできていない。

 大学の仲間からの誘いにも、全く顔を出せなかった。

 そんな時間があるなら、少しでも眠りたかった。

 その日は唐突に来た

 ピピピッピピピ。

 目覚ましのアラームが鳴った。

「もう朝か……」

 起きて、顔を洗って、ひげを剃って。

 着替えて、電車に乗って、店に入って。

 やるべきことは分かっているのに、どうしても身体が動かなかった。

 起きなきゃと思ったまま時間が過ぎて、開店時刻になる。

 バイトから電話が入っているのに、電話を取る手も動かない。

 携帯の電源がなくなるまで電話は鳴り続け、その全部を無視してしまった。

 その日、俺は結局、一日中パジャマで座り込んでいることしかできなかった。

 それが始まりで、終わりだった。

 やらなきゃいけないことは分かっている。

 ただ、心と体がバラバラになったようにどうしても行動できない。

 代わりにサボって遊んでいるならまだマシなのだが、ただボーッと座り込むことしかできない。

 休職を申し出た会社には、盛大に罵倒された。

 俺なんか、生きていないほうがいいのだ。

 分かっていても、死ぬために動くこともできない。

 何も出来ないまま三ヶ月が過ぎ去って、俺は、親に連れられて実家に帰ったのだった。

 実家に帰ってからも、俺はなにもする気が起きなかった。

 ただ、あの仕事に行かないでいいことだけが救いだった。

「陸、近くのコンビニがアルバイトを募集してたよ」

「今度の休み、ハローワークに一緒にいこう」

 両親の気遣いが重たい。

 聞こえないふりをしてやり過ごすのは、問題を先送りしているだけなのは分かっていた。

 けれど、どうしても動けない。

 社会に俺の居場所なんてないのだ。

 俺なんかが加わったら、迷惑をかけるだけだ。

 そんな気持ちが消えないのだ。

 そんな日々を過ごしていたある日のことだった。

「陸、すまないが、おまえに頼みがあるんだ」

 俺の顔色をうかがうようにして、父が話しかけてきた。

「俺にはできないから」

 いつものように部屋に逃げ込もうとしたけれど、

 今回ばかりは、親父も引き下がってくれなかった。

「就職じゃなくて、お見合いなんだ」

「はあ?」

 就職じゃなくて、見合い?

 仕事ができないなら専業主夫にでもなれっていうことか?

 予想外の話にぽかんとしていると、その隙を逃がすまいと、親父にがっしりと腕を掴まれた。

「陸に申し訳ないと思ったんだが、大切な取引先の方で、どうしても断り切れなかった。すまないが、一度、顔だけでも出してくれないか? もちろん断ってくれてもいいから」

 どうやら、これは俺の社会復帰計画の一つではないようだった。

 困り顔の親父は、どうも本気で困っているようだった。

「なんで俺?」

「それがよく分からないんだ。ただ、どうしてもとごり押しされてしまって。父さんの顔を立てて、頼まれてくれないか?」

「……会うだけで、いいんなら」

 俺が断ったら、親父も難しい立場になるんだろう。

 さんざん迷惑をかけている身で、これ以上迷惑をかけたくはなかった。

 なんで俺なのかは全く分からないけれど、こちらから断るまでもなく、相手から願い下げだろう。

 だから、面倒なことは一度きりだ。

 そう割り切って久しぶりに身支度を調えた俺は、なにやら高級な料亭へ連れて行かれた。

 落ち着かない様子の父と部屋で待っていると、貫禄のあるおっさんと高そうなワンピースを着た女性がやってきた。

「社長、ご無沙汰しております。本日は……」

 親父がさっと立ち上がって、頭を下げる。

 社長?

 てことは、俺の見合い相手は、社長令嬢か?

 不釣り合いもいいところだと、首をかしげていると、親父にひっぱり出された。

「愚息の陸です。陸、成宮社長とお嬢さんにご挨拶を」

 名前を名乗って、頭を下げる。それ以上言うべきことは思いつかない。

「成宮 愛莉です」

 ツンとした口調で名乗った女性は、目のぱっちりとした美人だった。

 成宮 愛莉という女性は、知り合いにはいなかったはずだ。

 ぱっちりした目はなんとなく見覚えがある気がするのだが、該当する知り合いは思い出せない。

 会話はもっぱら親達の間で交わされていて、俺と愛莉は、蚊帳の外だった。

 社長令嬢でしかも美人。なんで俺なんかが指名されたんだ?

 考えても答えは出なかった。

 しばらくすると、親たちは「あとは若い二人に任せて」とよく聞く言葉を残して別室に去り、俺は愛莉さんと二人取り残された。

 気まずい沈黙が流れる。

 どうも彼女はおしゃべりな性格ではないようだった。

「あ、あの」

「なに?」

 何とか会話の糸口を見つけようと口を開くと、間髪入れず鋭い声が返ってきた。

 怒っているような声に、内心びびる。でもまあ、怒る気持ちは分かる。

「成宮さんも大変だね。こんな無職の男と見合いする羽目になるなんて思わなかったでしょ? すぐ断ってくれて大丈夫だから」

 ヘラヘラと自虐して見せると、愛莉の眉がつり上がった。

「あなた、何を言ってるの?」

「へ? い、いや、君ならもっと条件のいい男がいくらでもいるだろうに、俺なんかと見合いさせられてご愁傷様だなって……」

「あなた、結婚する気があるわけ?」

「あるわけないよ。ニートなのに、結婚なんてできるはずないだろ」

「結婚する気もないのに来たの? バカにしてるの?!」

 綺麗な子の怒り顔は迫力がある。

 ツンツンした言い方もあって、俺はだんだんと小さくなっていった。

 嵐が過ぎるのを待つ気持ちで怒られていると、気を利かせた料亭の人がさりげなく止めてくれてその日はお開きとなった。

 どっと疲れて家に帰ると、スーツを脱ぎ捨ててそのままベッドに入る。

 ニートの俺にはハードルが高すぎるイベントだった。もう何も考えたくない。

 これで、彼女とは二度と会うこともない。

 その時俺は、当たり前にそう考えていた。

 ところがなぜか、次のデートのお誘いが来た。

 戸惑っているうちにデートの日がきた。

 当日、家の前にお迎えが来て、なぜか俺は今愛莉と二人で水族館にいる。

 愛莉はなかなか積極的な性格だったらしく、さっさと二人分の支払いをして、好きなように水族館を見て回っていた。

「あはは、あそこのペンギン転んじゃったわ。可愛い」

 どうやら今日の愛莉は機嫌がよさそうだった。ほっとしつつ、連れ回される。

「あっちにイルカがいるみたい」

 そうやって笑っていると、愛莉は可愛らしい女性だった。

「見て、あのお魚、美味しそう!」

「えっ、食べる気?」

「食べれない魚なの?」

「どうだろう……」

 愛莉はどうやら割とマイペースな性格だった。

 ついでに思ったことがそのまま口から出る。

 最初に会った時に怒っていたことも、全然根に持っていないようだった。

「お腹が空いたわ、何か食べましょう」

 イルカショーを待つ間に、レストランに向かう。

 愛莉が取り出した財布は俺でも知っている有名なブランドのものだったが、そこには明らかに不釣り合いなキーホルダーが付けられていた。

 子どものおもちゃみたいなチープなキーホルダーだ。しかも古い。

 財布の値段と較べたら、ゼロが少なくとも三つは違うだろう。

 そのキーホルダーに、なぜか見覚えがあるような気がした。

 その後も、俺と愛莉は何度かデートを重ねた。

 愛莉の明るさに引っ張られて、俺は少しずつ愛莉との時間を楽しみだしていた。

 ある日の帰り道、愛莉は俺の家の近くの公園で車を止めさせた。

「懐かしい! ここでよくサッカーをしたでしょ。覚えてる?」

 その言葉で、おれはようやく思い出した。

 丸っこい目と、キーホルダー。

 どこかで見たことがあるような気がしたその理由に。

「一人でいるところを陸君が声をかけてくれて。一緒に遊んでくれて、とっても楽しかったの。陸君はもう忘れてるかもしれないって思ってたけど、私はどうしても忘れられなくて、探してもらったの」

 全部の謎が解けた。

 俺に釣り合いの取れない見合い話が来た理由。

子どもの頃転校したあの女の子の名前。

「愛莉ちゃんだったのか……」

「そう。久しぶりに会った陸君は、どうも私を忘れてるみたいだし、すっかり変わっちゃってたし、お見合いの日はイライラしちゃってごめんなさい」

「いや……俺こそごめん。幻滅しただろ?」

「会って話したら全然変わってないって分かったわよ。でも、なんでニートになんてなっちゃったの?陸君なら、立派になってるって思ってたのに」

 それが悪気のない言葉なのは分かっていた。

 だけど、聞き流すことはできなかった。

 なんでこんなことになっちゃったのかなんて、一番思ってるのは俺だ。

「俺なんて、大したことない人間だったんだよ」

「そんなことないって」

「そうなんだよ! 何をしてもうまくいかない。お嬢様の愛莉ちゃんには分からないだろうけど!」

「なによ、私がなにも苦労してないとでも思ってるの?!」

 そこから先は、売り言葉に買い言葉だった。

 楽しかったデートは一転して、最悪のケンカ別れに終わったのだ。

 愛莉から、次の誘いは来なかった。

 悪気のない愛莉に一方的に怒ったのは俺だし、俺が謝るべきなのは分かる。

 だけど愛莉の発言は、的確に俺の急所を突いていて、謝ることもできなかった。

 大体、愛莉が俺を選んでくれたところで、俺では釣り合いが取れないと誰もが言うだろう。

 これは、俺が謝ればそれでいい話ではないのだ。

「だけど、愛莉はわざわざ俺を探してくれたんだ」

 この世界の誰も、俺のことなど要らないような気がしていた。

 けれど、違ったのだ。

「仕事を見つけよう。そして、愛莉に相応しい男になって会いに行くんだ」

 覚悟を決めたら、行動は早かった。

 俺の傷はもう癒えていて、あとはきっかけが必要だったのかもしれない。

 就職活動は、今回も思うようにはいかなかった。

 新卒でなくなった分、条件はより厳しくなっていた。

 それでも、気付いたこともあった。

 俺は、企業が俺を『選んで』くれないと嘆いていたが、それは違う。

 俺は、大手企業でホワイトカラーで、給料もそこそこ良くて……なんて、そんな理由でしか仕事を見ていなかった。

 その会社で、成し遂げたい夢とか未来とか、そんなことを真剣に考えたことがなかった。

 企業に選ばれる前に、まず俺が企業を『選ばなければ』いけないのだ。

 現役時代、テキトーにやっていた、自己分析や企業研究を真剣にやった。

 得意なこと、苦手なこと、やりたいこと、やりたくないことを真剣に考えた。

 そしてついに、内定を取ることができたのだ。

 これで愛莉に謝れる!

 喜んで送ったLINEには返信がなかった。

 考えてみたら、俺は愛莉を怒らせたまま放っていたわけだ。

 愛想を尽かされていても不思議はない。

それでも、このままにはしておけない。俺は携帯の連絡先を確認した。

 愛莉とのデートには、いつも執事の谷口さんという人が送り迎えをしてくれていた。

 何回目かのデートの時、なにかあったら連絡をしてくれと、連絡先を交換したのだ。

 トゥルルル……

 たった何回かの呼び出し音が途方も長く感じられた。

「谷口さん、松本です。あの、愛莉さんにお会いしたいんです。どうか、愛莉に伝えてもらえないでしょうか!」

「松本様。残念ですが、愛莉様は別の方とのお見合いが決まりまして、本日はその準備をなさっているのです」

「お見合い? いつですか?!」

 愛莉が別の男とお見合い。

 予想もしていなかった言葉に、頭が真っ白になる。

 それでもなんとか場所と時間を聞き出して、電話を切った。

 俺よりずっと条件がいい男なんて、いくらでもいるはずだ。

 諦めるべきだろうか。それがお互いのためだろうか。

 そんな弱気が思い浮かんだけれど、それではいけないと思い直す。

 せめて、愛莉に、俺の本当の気持ちを伝えなくてはいけない。

 もう、以前のような全てに諦めていた俺ではないのだ

 俺は財布と上着だけ持って教えられたホテルに急いだ。

「愛莉!」

 ホテルに着くと、ちょうど愛莉が知らない男性と一緒に車に乗り込もうとしているところだった。

 無視されるかもしれない。

恐怖を押さえつけて、必死に呼びかける。

 けれども、そんな心配はいらなかった。愛莉はびっくりした顔をして

「陸君……。どうしてここに?」

「愛莉!」

 車に乗るのを止めた愛莉に駆け寄って、俺は愛莉を抱きしめた。

「えっ? 陸君、こんなところで! どうしたの?」

 愛莉は顔を真っ赤にしているが、俺はとにかく必死で、気にする余裕はなかった。

「愛莉が大好きだ!」

 後から思い返すとなんと恥ずかしいセリフだろう。

 だけど、俺は愛莉に想いを伝えることしか頭になかったのだ。

「就職が決まったんだ。だから、どうか俺と一緒にいて欲しい」

「陸君……おめでとう」

 愛莉は涙目だった。それだけ喜んでくれているのだと、俺も嬉しくなる。

「愛莉、お邪魔そうだから先に行ってるね。話がまとまったらおいで」

 先に車に乗り込んだ男性は、なんだか微笑ましいものを見るような顔をして笑っていた。

 お見合い相手なのにそんなんでいいのか?と疑問に思っていると、運転席にいる谷口さんと目が合った。

 谷口さんは俺に向かってパチリとウインクをする。

「はい。先に行っていてください、兄さん」

 やられた。どうやら俺は谷口さんに一杯食わされたらしい。

 けれども、愛莉に無事思いを伝えられたのは、谷口さんのおかげでもある。

 しっかり俺の手を握ってくれる愛莉に幸せをかみしめながら、俺もしっかりと愛莉の手を握り返したのだった。

「お見合いだって聞いたんだ。谷口さんに」

「違うよ! 今日は親戚の集まりで、さっきのは従兄弟のお兄さんよ」

「うん、最後に気が付いた」

「だからこんなところで……告白は嬉しかったけど」

 恥ずかしかったわ、と顔を赤くする愛莉はとても可愛かった。

 俺も相当恥ずかしい目にあった気がするけど、全部水に流せると思った。

「陸君。この前は、ううん、最初の時もひどいことを言ってごめんなさい。私、本当は、陸君の手助けをしたいと思ってたの。でも、陸君は、自分で立ち直ったんだね。優しくて頼りになる陸君ば、やっぱり全然変わってなかった」

「いいや、俺が立ち直れたのは、愛莉のおかげだよ。愛莉が俺を信じてくれたから、俺は自分が無価値じゃないって信じられたんだ。俺には愛莉が必要だ。俺と正式に付き合ってくれないか?」

「もちろんよ!」

 愛莉の笑顔は、今までで一番綺麗だった。

 ちなみに、家に帰って携帯を見ると、谷口さんからメッセージが届いていた。

 いわく、『ショック療法は効果てきめんでしたね』。

 谷口さんにはとても感謝をしているが、ほんの少しくらい復讐をしても許されるだろう。今度、サークルで絶不評だったスイーツでも差し入れしてやろうと心に決めた。

 さて、それから数ヶ月。

 新しい職場では、上司にも同僚にも恵まれた。

 新人の俺にも分かりやすく仕事を教えてくれ、質問にも丁寧に答えてくれる。困っていたらフォローしてくれる。

 まだまだ一人前とは言えないだろうが、任される仕事も増えて、俺はやりがいを感じていた。

 世話になった両親の下を離れ、一人暮らしを再開する。

 母さんは心配したが、親父が今の陸なら大丈夫だと太鼓判を押してくれた。

 正直、無理やりにでも見合いに連れて行ってくれた親父には頭が上がらない。

 以前は出来なかった自炊も始めた。

 少しでも節約して、早く愛莉にプロポーズをしたかったからだ。

 そのためなら、毎日のもやし炒めもつらくはなかった。

 そして、今日。

 俺は愛莉とあの公園に来ていた。

 夕方を過ぎて、公園にはもう子どもの姿はない。

 ロマンチックな場所ではないかもしれないが、たくさんの思い出があるこの公園でプロポーズをしたいと思ったのだ。

「愛莉、俺と結婚してほしい。昔みたいに、俺が君を守るから」

 真面目くさって言うと、愛莉は大きな目にうるうると涙を貯めた。

「ホントでしょうね? 約束破ったら、承知しないわよ!」

 愛莉はツンとそっぽを向いたけれど、その顔が赤くなっているのがはっきりと見えた。

 愛莉は俺を変わらないと言ったけれど、愛莉だって変わっていない。

 昔と同じ、ちょっとだけ素直になれない女の子だ。

 そういうところが可愛いのだと思う俺は、愛莉に心底惚れているのだと思う。

 そして俺は誓う。

「君のことを一生守るよ。約束する」

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