「どう責任を取るつもりなんだ? 散々煽って、挙句ぶつけてよ?」
ヤクザが和田の胸倉を掴んで凄む。
「め、命令されて、したことでして……」
和田は助手席に残った俺を指さす。
「先輩にやれって言われました!」
俺に近づいてきたヤクザと、目と目が合う。
「あ、あ……」
彼は甲高い声で呻いた。
俺は溜息を吐き、笑ってしまった。
俺は斎藤一也。
名前の通り長男だ。
と言っても兄弟姉妹はいない。
両親は物心つく前に二人とも亡くなってしまった。
だけど俺は、幼い日々の思い出に、寂しかった思い出が無い。爺ちゃんと婆ちゃんは、俺のことをずいぶん可愛がってくれたから。
それに、爺ちゃんの仕事先の人が大勢、しょっちゅう家に出入りしていたからいつも賑やかだった。荒っぽい雰囲気のおじさんが多かったが、俺には優しかったのなんの。
あるおじさんに遊んでくれ、とねだれば
「よっしゃカズちゃん!おじさんがお馬になってやろう!」
と、四つん這いになってくれた。
おじさんの見た目やなんかを俺が笑い事にした時も、
「カズちゃんにはかなわんなぁ」なんて、笑い返されるばかり。
寂しくなるどころか甘やかされて幸せだった。
普通はそう聞くとワガママなガキ大将になりそうだけど、俺はそうならずに済んだ。それは爺ちゃんのおかげだ。
お馬になってくれたおじさんに、もう疲れたよと言われて俺がぐずれば、爺ちゃんが怒る。「礼も言わずに、なんだお前は!」という具合に、
俺がおじさんの特徴をからかい続けていれば、おじさんが平気な顔をしていようと爺ちゃんは容赦しない。
「筋違いなことで人様を笑うな!謝れ!」
そう言って俺の頭を床に擦りつけた。
おじさんたちは俺を叱る爺ちゃんをとりなしたが、爺ちゃんは絶対に
「こいつのためにならねぇ……!」
と、突っぱねた。こうなるとおじさんたちは何も言い返せない。
泣きじゃくる俺を婆ちゃんはあやしながら、
「爺ちゃんはね、間違ったことは言わない人だよ」
と必ず言い、俺の頭を撫でていたものだ。
俺が小学校に上がり、少しは言葉で道理が分かるようになった頃、爺ちゃんは「どんな相手でも、筋を通して物事に当たれ」という訓示と、「傲慢にならず、周囲の人を大切にしろ」と言う心がけを口酸っぱく言い聞かせた。
それをちゃんと理解できたのは大人になってからだった。
自分一人で生きていかなきゃいけない、しかし一人きりで生きていけるわけでもない。
だから、少なくとも『ありがとう』と『ごめんなさい』は絶対忘れない。
それが、爺ちゃんが時に手を挙げてまで俺に叩き込んだ、『筋を通す』と、いうことだと思う。
二十歳になった俺に、爺ちゃんは自分の仕事を継ぐか?と持ちかけてきたが、断った。
「就職まで世話になっちゃ、爺ちゃんに何を教えてもらったのかわからない。俺が一人前になるまで、その話は取っておいてくれ」
生意気な俺の言葉を、わが意を得たり、という風に爺ちゃんは豪快に笑った。
そして、「良く言ったな。お前の好きにしろ。まぁ、いざというときは爺ちゃんも力を貸そう。ただし一人前を目指すからには、お前ひとりの都合なんかで、頼ってくるんじゃねぇぞ?」と温かく言ってくれた。
俺は自分の仕事に、不動産会社の営業職を選んだ。
子供の頃から大勢の大人と触れ合っていたから、対人スキルに少しは自信があったんだ。
ところがそれは甘かった。
この仕事は、自ずと人と人との間に立つことになる。
例えば賃貸の大家と住人、土地の持ち主と借主。
それぞれの細かい契約の中で、度々言った言わないの揉め事が起きる。
単純にどちらかの言い忘れ、聞き違いであったにせよ、怒りの矛先は俺たちに向かうことが多い。
たとえ会社の責任と言えないような時でも、こちらが頭を下げなければ、当事者同士の話し合いもままならない。
家や土地は持ち主にとってはかけがえのない財産、住人にとっては大切な住む場所だ。
どちらにも安心して貰わなくては、紹介した俺たちの筋が通らない。
俺は心を込めた「ごめんなさい!」と、迅速な対応で推し進めるばかりだ。
また、この仕事に限ったことでもないだろうが、トラブルは同時多発的に起きる。
あっちで水漏れが起きればこっちで住人同士の諍いが……。なんていう風に、優先順位や段取りを間違えば、些細なことでも随分大事になってしまう。会社の仲間や上司は勿論、様々な方面に力を借りねばならない。
その度俺は、一人では何もできないことを痛感する。
だから助けてくれた人への「ありがとうございます!」が、その場しのぎの言い繕いにならないよう、精一杯努力してきたつもりだ。
会社も、俺のそういう態度を買ってくれたらしい。
入社して八年。二十八歳になる今、優れた営業マン、中堅社員として扱われている。
その上、新人の教育まで任されるようになった。
ところが、やってきた新人の和田裕介という男。こいつが飛んだ曲者だった。
「はじめまして和田君。これからよろしく」
と、挨拶をしたところ帰ってきたのは「はーい」という生返事。挨拶の態を成していない。ぺこりと下げる頭もなしと来た。
そう、下げる頭を持たないタイプの男だったのだ。
二十五歳で新卒というから、大学に入るか出るかに少々手間取ったように見えるが、出身校はなかなかどうして名のある私立だった。学費もなかなかだったろうに。
初出勤の時から、年の割には随分立派なスーツを着ているなあとは思った。
しかも今どき、このスマートフォンで諸々事足りる時代に、金時計を嵌めている。
どうやらシンプルに、見せびらかす為だったらしい。
スーツも時計も、ネクタイとピンまで日替わりで、大層高級そうな物を身に着けてくる。
まぁお洒落なのは結構だ。早くそいつが似合うような男になれよと微笑ましく見守るつもりだったが、そうはいかなかった。
和田は自分が金持の生まれであるというだけで、周囲にマウントを取っていたのだ。
「どうして僕が、そんな貧乏人がするようなことしなくちゃ行けないんですか」
何を頼んでもこの調子だった。
まぁ今時新人だからと言って掃除、お茶汲みなんかを頼んだりなんかじゃ反発されても仕方ないだろう。
ところが忙しくて手が回らず、コピー取りだとか書類のまとめだとか、細かいことだけでも和田に振ろうとする。
そうすればたちまち
「なんで貧乏人がするようなこと……」
が発動し、和田は何もしないことを押し通す。
言うだけでも大概だが、渋々でも仕事してくれよと思う。が、絶対に手を付けない。
いくらか営業の仕事を任せても、家賃と共益費の違いだとか、敷金礼金についてだとか、基本的なことを伝え忘れる。
さすがに迷惑すぎるぞ、ちゃんと謝れと言ったところ、
「ほんの数万円のことでしょ?ガタガタ言う方がどうかしてますよ」
と真顔で返された。大凡こんな調子だ。
ただ自分が、いや、自分の実家が金持ちだというだけだろう。務めてまだ僅かばかりしかたってないのにどうしてこうまで偉そうにできるのかと疑問に思って、
「自分一人で出来ることは何もないのに、よくそんな態度がとれるな」
とはっきりと口に出しては見たが、和田は面倒くさそうな顔でせせら笑う、という器用な真似をしてみせる。そうしてご自慢の時計をこれ見よがしにハンカチで拭くばかりだ。
反省しない奴のミスがなくなるわけもない。
俺自身で謝れる事ならまだしも、ほかの同僚や上司まで彼のミスを謝って回り、リカバーに追われている。
「おい。さすがにみんなに謝るなり、お礼を言うなりしたらどうだ」
こう言わざるをえない。対して和田はふふん、と鼻を鳴らして
「いくら払えば良いんですか?」
と聞いてくる。
金の問題じゃないだろうと俺が言えば
「仕事してくれた分は賃金で返すものでしょ? いくらだって払えますよ」
などとニヤニヤ笑う。
「お前さぁ。もう二十五なんだろ? 曲がりなりにも社会人が、なんでも金で解決出来ると思いあがるなよ」
お前が稼いだ金でもないだろうと、付け加えるのは、いくら何でも和田を馬鹿にしすぎだと思ってやめたが、返ってきたのは「金で解決できたことがない人の、やっかみですねそういう理屈」という予想外の答え。
加えて「僕の親は、なんでも金で解決してくれましたよ!」とキレてきた。
思った以上に頭が足りないようだった。
親におんぶにだっこなことを自覚して、そのままでいられるのか。
これで爺ちゃんが俺にしてくれたように、手を挙げるくらいのことをしてやろうかとも考えたが、それで通る筋でもない。
どうもワガママなクソガキにしか見えないとはいえ、曲がりなりにも大人だ。いやでも言葉を尽くさねば……。
そうは思っても、和田は何を言っても貧乏人のやっかみにしか聞こえないらしい。
ある時、「先輩って、高卒ですよね?」と、和田が言ってきた。
今度は学歴でマウントを取るつもりかと身構えつつ、育ての親に学費を負担させたく無かったんだ、と伝えた。なのに返ってきたのは、
「それくらいも、払ってくれない親御さんなんですねぇ」
と来た。俺のことはいいが爺ちゃん婆ちゃんの……! と俺が言う前に、
「俺のことはいいけど親のことは悪く言うな、なんて古臭いカッコつけ方しないでくださいよ。貧乏くさい」
と言われてしまった。
古臭いかどうかは別にして、貧乏はこの際関係ないだろと思ったが。
怒りに奥歯を噛みながら和田を見てみると、奴はせせら笑っていやがった。
こんな会話の後では、まぁ真面目に注意するのも馬鹿馬鹿しくなるものだ。
だが、和田を任された責任が俺にはあるから、説教は繰り返した。
和田は自分が金持ちでお前は貧乏、という理屈だけで、すべてのらりくらりかわし続ける。
せめて、お前の代わりに頭を下げたり、穴埋めに勤しんだ人に『ごめんなさい』と『ありがとう』は言えとは再三言った。いつまでも代わりにしてもらえるもんじゃないぞと。
しかし、和田は「その時は僕の財布が唸りを上げますよ」と、返すやりとりの繰り返し……。
そんなある日。俺は和田と一緒に、車で営業先に向かっていた。
和田には車の中で資料に目を通すようにと言っても多分、「移動中にせせこましい。貧乏くさいですね」とか何と言って聞かないだろうと、運転を任せた。
これが大きな間違いだった。
なにが癪に障るのかは知らないが、近くの車には幅寄せ・パッシングの嵐。
とりあえず、「なあ和田。もっと静かに運転出来ないのか?」と聞いてみた。
「悪いんですが、普段は外車しか運転しないもんで」
そう言うことじゃない。
「あのさ。これ社用車なんだよ」
と、切り口を変えて見る。
「いやいや、会社の貧乏を馬鹿にしたワケじゃ無いっス」
そう言うことでもない。
「事故を起こせば会社の責任になるんだよ」と伝えたいのに、和田はこちらの気持ちも知らず、「安い車で前に出られると、僕イライラしちゃうんですよね」なんて言いながら、煽り運転を続ける。
さすがに「それは犯罪だよ」とか「事故ってね。起こしちゃダメ!なんだぜ?」
なんてことまで言うのは二十五の大人を馬鹿にしすぎだろうと思った。
それも重ねて大きな間違いだった。
鋭い急ブレーキと鈍く重い衝撃音が響く。
車間距離を詰めすぎたことで、前の車の急ブレーキに反応できず衝突したのだ。
一瞬の静寂を切り裂いたのは、「野郎!ちんたらしてっからだ!」という和田の逆ギレ。
言い捨てて彼は、外に出てしまった。
どう考えても悪いのはこちらだ。
それにしても和田は気づいていないのか。
さっきまで車間距離をグイグイ詰め、今まさに追突した相手は黒塗りの外車。加えて全面スモークガラス。
運転していて気が大きくなっていたのは百歩譲ろう。しかしぶつけた瞬間くらい冷静になるべきではないかな。
案の定、文句を言ってやろうというテンションだった和田が、うしろからでも分かるくらいシュンとなっていく。
黒塗りの外車の中から現れた面々は黒いスーツと黒メガネ。この黒い三連星の黒さは、見た目だけでは勿論ない。
社会的にも黒い連中、いわゆるヤクザだ極道だ。
「てめぇどこに目ぇつけてんだ!」
と、ヤクザの一人が和田の胸倉を掴んで凄む。
普段の和田なら「目なら鼻の上、眉の下ですよ?」だとか「触らないでくださいよ。高いネクタイなんだ」とでも言うだろう。
言ってしまった上でのバイオレンスな展開も、期待しなかったといえば噓になる。
多少の荒療治が和田には必要だと、俺にも理解できたからだ。
だが、和田もヤクザ相手では
「ご。ごめんなさい……」
と、怯えて震え、いつもの金持ちマウントを取る余地はないらしい。
「どう責任を取るつもりなんだ?散々煽って、挙句ぶつけてよ?お?」
ヤクザは顔をマウス・トゥ・マウスの距離まで詰めている。
言っている内容にロマンスは欠片もない。はて、どうしたものか。
さっき和田に言おうとしたように、会社の責任と言う形にはなるだろう。
しかし、これもいい機会かもしれない。
さすがにこんなことになっては、あいつも少しくらい考え方を改めてくれるだろう。
俺はひとまず、営業先なり会社なりに電話しなくちゃ。
と、考えていると、とんでもないことが聞こえてきた。
「あのですね。そちらの車を煽ったのはですね、で、もういっそぶつかっちゃえ、となったのもですね。め、命令されてしたことでして……」
発言は予想外だが、何を言いたいかは残念ながらわかる。
「誰に命令されたって?」
和田に詰め寄っているのとは違うもう一人、車に乗っていた中ではリーダー格と思しき壮年のヤクザが尋ねる。応じて和田は助手席に残った俺を指さす。
「先輩にやれって言われました!」
和田の声が俺の耳を通り抜け、胸を重くする。
俺の手では和田は変わらなかった。
それはまぁ、これからも誠心誠意言葉を尽くせばいいと思っていた。
しかしこんな状態で人のせいにして、そのばしのぎでどうにかしようっていうのか。
いよいよこいつはダメなのかもしれない。
俺は思わず溜息をついて、そして笑ってしまった。
しょうがない。とりあえずこの場は俺が泥を被るとして、
とりあえず会社に抱える迷惑は最低限に……。
なんてことを頭に渦巻かせたまま、俺は車を降りた。壮年のおじさんヤクザが俺に近づき、目と目が合う。
「あ、あ……」
和田は甲高い声で呻いていた。
俺は再び溜息をつき、笑ってしまった。
実際、もう少し冷静さがなければ、大爆笑していただろう。
ヤクザと目が合った途端、アイデアが閃いた。
些か不本意な方法だ。和田のことを言えた義理でもなくなる。
でもだからこそ、今度こそ伝わるかもしれない。
彼のためだと思えば、約束通りの事にもなる。
俺はおじさんのヤクザに耳打ちした。
一方和田はヤクザの車に放り込まれる。俺も後部座席に乗り込んだ。
その瞬間、車の中の空気が固くなる。俺は必要以上にブルブル体を震わせてみた。
そんな俺を見ておじさんヤクザは吹き出し、他のヤクザたちは一層強張る。
和田はといえば、生気のない目で縮こまったままだ。
「出せ」
促され運転手がエンジンをかける。
「……あんたらには、けじめをつけてもらう」
と、おじさんヤクザに睨まれて震え続ける俺と、もはや震える元気も無い和田を乗せ、傷ついた黒塗りは結構な大きさの和装住宅に着いた。
「入れ」
辿り着いたのは屋敷の奥の間。和田は怯えて動けない。俺が部屋に入ろうとすると、
「おっとー。お前はこっちだー」
と、ひどく棒読みな若い衆が俺をどこかへ連れていく。
残された和田は一人ヤクザたちに囲まれた。
最初は彼も「ですからあれは先輩に言われて……。車も、会社のものなので……」等々、言いわけを頑張っていた。
「運転してたのはあんただからね。もう一人や会社にも話はつけるが、あんた自身が”一人で”とらなきゃならんけじめってもんがある」
と返してこられたのはヤクザの理屈。考える隙さえ与えない。
「それは、どういう……」
蚊の鳴くような声の和田に、ヤクザは「一億円」とだけ答えた。
「そ、そんな!ちょっとぶつけた……」
だけ、じゃないですか。
なんて続けられるほど甘くない、ヤクザの圧力。
「ヤクザの車に傷をつけるってのは、面子やらなんやらにまで、唾かけたってことだ」
重く低い声が響いた。
「払えんか。見たとこ歳の割に良い服着ているようだが」
親にでも泣き付いたらと聞かれれば、「さ、さすがに一億円なんて、払ってくれない……」と、和田は涙を流し始めた。
「じゃあ自分で筋を通すしかない。いくらでも払い方はある」
五体満足には終わらんけどな。そういわれると和田は膝をつき、頭を床に擦りつけた。
「……すいません!」
で、あるとか、ごめんなさいくらいは聞き取れたが、後は言葉にもなっていなかった。
別に怖がらせることが目的じゃない。自分から謝ることが出来たんだから、そろそろ言葉で分かるだろう。
俺は扉を開け、和田が泣きわめく部屋に入った。
「そのへんにしといて!」
出来るだけ明るい雰囲気にしようと、元気に言ってみた。
しかし、俺の顔を見るや否や、ヤクザたちは背筋を伸ばし手を後ろ手にして
「お疲れ様です!」
と、大合唱。和田は呆気に取られている。
「お疲れ様です。坊ちゃん」
おじさんヤクザがニヤニヤしながら言った
「坊ちゃんは辞めてよおじさん。俺もう二十八だよ」
頭を掻きながら俺が言うと、おじさんは一層頬を緩ませて、
「じゃあカズちゃんと呼ばせて貰いましょうかね」なんて言い出す。
「しかし随分怖がらせたね?そのままどうにかするんじゃないかと心配したぜ」
俺の問いにおじさんは、「しませんよ。約束だったじゃありませんか」
と、指切りげんまんをしてみせた。
もっとも彼の小指は本当に切れてしまっている。幼い頃、これを揶揄って爺ちゃんに叱られたものだ。
「とにかく、後は俺と彼との問題だ。二人きりにしてくれ」
そういうとおじさんの号令の下、部屋の中のヤクザは撤収した。
和田はあんぐりと口を開けたまま、流れ放題だった涙を拭こうともしない。
「……まぁ。見ての通り。ここは僕の実家だ。連中は俺の爺ちゃんの組の、構成員」
反応はない。感情の置き場が見当たらないのだろう。
「で、さ。自分の力……。違うな。親の財布でもどうしようもなくなった時、どう思った?」
うつむき始めた。ダメージは少なからずあるんだろう。
「実際、今回はお前が完全に悪いよ。そりゃ、筋として俺や会社が取る責任もあるが、お前が傲慢だった」
この事故だけじゃない。和田は周囲の人を人とも思っていない傲慢さがある。
「随分手荒なことをしたのは悪いと思ったが、これで俺と関わりないヤクザっだったらどうした?ヤクザでなくても、例えば誰かの命を奪ったとして、金で解決して貰えたと思うか?どうにかできないのは、ヤクザのメンツ以外にも腐るほどあるぞ」
人の心ってのはそういうものだ、と伝えた。
また古臭い貧乏臭い、と笑われたら、その時は本当にあきらめようと思ったが……。
和田は、再び涙を流していた。唇を噛んで悔しそうに、
「でも、他にどうしろっていうんですが!」
和田は怒鳴った。
とりあえず若い衆に託けて、タオルと温かい飲み物を持ってこさせた。
ぽつりぽつりと和田が語ったのは、予想通りといえば予想通り。
親には金でしか愛情を示されず、周囲の人間はその親の金でしか自分を評価しない。
それで他に、何を誇りに生きていけばよかったんだ、と。
追い詰められたことが、感情を爆発させる引き金になったのか、
寂しかった、悔しかった、他に自信があることなんてないと、泣きわめいた。
甘ったれるな、というには、俺は恵まれ過ぎている。
確かな愛情を爺ちゃん婆ちゃんから受け取った。
そして今日は、爺ちゃんという背景を、和田にぶつけたのだ。
ある意味では和田と同じことをしたのだから、これまで以上に言葉を尽くさねばならない。筋を通そう。
「さっき、泣きながら謝ったろう?自分で。これまではあれを他人にやらせてたんだよ。お前は」
俺はゆっくりと、言い聞かせるように口にした。
「少なくとも今日まで、俺は実家がヤクザだって事を利用したり、言い訳にしたことはなかったんだ」
学費を気にした話なんかも、覚えてくれているといいんだが。
「まぁ、ある意味これでお相子だ。この件、お前が反省して、少しは周りを見てくれたらさ。自分の世話も自分で出来るようになれば、水に流すよ」
その代わり、それができなければ……。と、続けるのが申し訳ないくらい、真剣な面持ちで、和田はまっすぐ俺を見据えて、首を縦に振った。
実際、その後の和田の変貌ぶりはすごかった。
ミスをすれば頭を下げて謝り、フォローしてもらえば礼を言う。
当たり前の事とは言え、それまでのライフスタイルをまったくもって変えたのだ。
荒療治で、その痛みの怯えだけで出来るものではない。
元々、嫌味を言う為に頭は良く回るほうだった。態度が変わるだけで仕事につながり、評判も良くなる。まだまだ俺や、周囲の助けは必要だが。
親の金で偉そうにしても誰も付いていかない。
後ろ盾よりも、本人の意志や魅力でしか誰も評価しないと……
「先輩が教えてくれたんですよ」
と、和田は言ってくれている。
驚いたことには、水に流すといった車の修理代も、きちんと払うと言ってきかない。
親に頼らず、自分の稼ぎから払うと。
「一億円、何年かかってでも払って見せます」
なんて言われたら苦笑するしかなかった。
さすがにそんな額なわけはない。
とはいえ、まずはここから筋を通すことを学んでくれるのであれば、俺も爺ちゃんの力を借りた甲斐があるというものだ。
その借りについて礼を言おうと、再び実家に顔を出すと、
「大したハッタリも使えるようになったじゃねぇか。それも下の者を育て上げる為とは見上げたもんだ」
上機嫌な爺ちゃん。そんなに大層なことかね。戸惑っている俺に
「どうだい。これからな。うちの不動産、お前に任せようかと思うんだが」と、来たもんだ。
冗談じゃない。
そこまで見込んでもらえるようなことはしてないし、まだまだ和田も半人前なんだ。
さしあたり、奴を一人前にしてからの話にしてくださいよ、と。
つまり、俺は俺なりの筋を通すと伝えた。
「おうおう。良くいったもんだ」
と爺ちゃんは笑った。
相も変わらず豪放だった。
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